レッスンとは関係のないところでなのですが、自分の中で人に言われて落ち込む事がつい最近ありまして、それを機会に色々と考えてみました。
言葉の威力って本当に凄いですね。
身体の不調まで引き起こしますね。
しかも、その身体の不調がその言葉のせいだったのか、ってことは、後でわかりました。
気分転換をしてもだめ、運動しても、
美味しいものを食べても一過性で、また
どんよりとした気持ちを抱えていました。
実はこういうことって、子供の頃にもよくあったなあ、と今思い出しています。
子供の頃からあったピアノに向かう際のなんだかわからない自分への自信のなさ、劣等感、練習へのやる気のなさ、
音楽は好きなんですけど、そういうものをずっと抱えてきました。
これの正体は、何を隠そう周りの大人の声掛けや態度だった、と、残念ながらここのところほぼ確信しています。
何事も人のせいにすることはよくないと理解していますが、やはり子供の頃というのは、周りの環境や、親の価値観によっての影響は絶大なのは仕方ないですね。
勿論感謝もしていますが、誰にでも多かれ少なかれあるのではと思います。
しかもそれが、殆ど全て悪気のないものであるから、更にやっかいです。
大学生になって色々な先生やピアノの友人と出会い、少しずつ世界が広がりました。
自信はつかないものの、ピアノがいつしか大好きになっていました。
でもまだまだどこかでは、やらなきゃならないこと、期待に応えなければならない事柄=ピアノだったように思います。
重松正大先生に出会ってここ15年程、
最近やっと先生に言われているピアノの技術がどんなものか少しずつ分かるようになってきて、この中で手応えを感じる事が多くなり、今ではやらなきゃならない事柄ではなく、完全に自分の生涯やりたい事になっています。
しかしながら、自信のなさや劣等感は今でも、いろんな所で顔を出してきます。
非常にやっかいなんです。
親や先生の言葉掛けは、その子にとって一生残るものだ、と自分自身の身体を通して痛感しています。
自分も親になり、言葉掛けの失敗は沢山あります。
親というものが完璧ではないのだということも、自分を通して理解しました。
でも、だからといって言葉は慎重に、
なるべくネガティブではなく、
励ましの意を表せるようにポジティブに、表現しなければならないと思っています。
子供は傷ついたとき、なぜ傷ついたのか、何に傷ついたのか、自分で理解できないこともあります。
そんな時はその場の表情には出なくても、
後々やる気のなさや、身体の不調に自然と出てしまう。
本音を話そうとすると知らず知らずに涙が出るってこともあります。
これも子供の頃からです。
そっか、そういうことだったのか、
と、全く関係のない今回の落ち込みで気づきました。
結局、今は今回自分が何に傷ついたのか、そしてそれに対してどう心を整えるか、分かったので、元気になりました!
言葉の威力は、悪気の有無に関わらず、かなり強いものです。
言葉の威力は目先の結果を変えてしまうだけでなく、何十年先のその人の根底に流れるマインドまで変えてしまう程に。
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